スペイン語の「ハポン」とは、日本の意味です。
ところが、この「ハポン」を苗字とする人々が多数を占める小さな村が、スペインにはあります。
彼等は、「自分達は日本の侍の子孫である」と信じて生きています。
そして歴史的経緯として、その可能性は大いにあるようなのです。
どういうことなのでしょう。
仙台藩主伊達政宗が、宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ三世、並びにローマ教皇・パウロ五世のもとに派遣したのが、慶長遣欧使節です。

支倉常長は、およそ7年の後に仙台の地に戻るのですが、その際に乗組員の全員が共に戻った訳ではない、という史実があります。
旅の途上で命を落とした者の他に、自らの意思でスペインの地に留まった者がいたらしいのです。
ハポンを苗字とする人々は、日本には戻らない、という選択をした者の子孫である、と考えて不自然ではないらしいのです。
筆者の友人が以前、サラマンカ大学に留学していたのですが、その友人の見解もハポン姓の成立と現在までの持続は、この史実が決定的な要因であろうというものです。
スペインに留まることを選んだ彼等は、何故そのような生き方を望んだのでしょうか。
当時の封建社会の日本より、彼の地での自由を選んだのでしょうか。
自らの強い好奇心に従ったのでしょうか。

筆者は、つい想像してしまいます。
その中にはきっと、スペインワインの美味さに魅了され、彼の地に留まることを選んだ者もいるのではないか、と。
酒飲みとは、生きる時代や土地を越え、時にそんな酔狂な行動をする者なのかもしれません。
スペインの地を移動した侍は、どんなワインを飲んだのでしょう。
テンプラニーリョやボバル系統の赤ワインは味わったに違いありません。
現代では絶えてしまったぶどう品種のワインも飲んだのかもしれません。
スペインという土地で育ったぶどうをどんな思いで見たのでしょう。

現代の日本で、スペインとの直接の繋がりを感じることは多くはないのかもしれません。
もちろん日本には、中世の宣教師によって書かれたスペイン語の手紙を研究している歴史学者、周囲との言語的な関係性が全く存在しない、謎の言語と言われるバスク語を研究している言語学者もいます。また身近なところでは、スペインサッカーのファンもいるでしょう。
一方で我々酒飲みは、日々スペインワインを楽しむことで、簡単に彼の地に思いを馳せることができます。
彼の地に留まった侍のことを思いながら飲むスペインワインは、いつもとはちょっと違った味わいになるのかもしれませんね。
