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ファン・パラオの障害者を励まし続けた人生

いよいよ今週末でパラリンピックも閉幕となりますね。

これまで、スペインのオリンピック、パラリンピック注目選手にスポットをあててきました。

そこで、今回は現在行われているパラリンピックのスペイン代表団を支援し続けてきたファン・パラオ氏を簡単にご紹介します。

もともとパラリンピックは、1948年、ドイツ人医師ルードウィッヒ・グッドマン博士の提唱によって、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院内で開かれたアーチェリーの競技会が始まりでした。

それは、第2次世界大戦で主に脊髄を損傷した兵士たちの、リハビリの一環として行われましたが、1952年に国際大会になりました。

そして1960年からはオリンピックが開催される同じ国で開催され、1988年のソウル大会からは、オリンピックの直後に同じ場所で開催されるようになり今に至ります。

以外にもパラリンピックとしての歴史は短いですね。

「ファン・パラオ(Juan Palau)」

グッドマン医師の「障がい者スポーツの最も高潔な目標は、彼らが周囲の世界とのつながりを取り戻すのを助けることである」という言葉に大きな感銘を受けたファン・パラオ氏は、1958年、ホームレスの子供や若者を受け入れるためにバルセロナのホガレス・ムンデット福祉施設のセンター長として就任しました。

その施設には障害を持つ者も多く、パラオ氏はグッドマン医師の言葉を胸に刻み、彼らにスポーツ活動を推進していきました。

その後、付属機関であるバルセロナ州議会の議長サラマンチと親睦を深め、1960年に施設内にて障害を持つ者たちによる水泳、卓球、陸上競技の大会が開催されました。

大会の可能性を確信したパラオ氏はサラマンチ氏と共に、1968年スペイン障害者スポーツ連盟(FEDMF)を立ち上げ、1995年にはスペインパラリンピック委員会の設立に携わり、副会長としてスペインの障害者スポーツの発展に尽力していきました。

そして、2011年に亡くなるまで、彼はスペインや世界のスポーツ界に障害者の受け皿を築くことに人生を捧げました。

スペインの障害者スポーツのみならず世界のスポーツ界に大きな功績を残したパラオ氏の功績と献身を称えて、FEDDFはファン・パウラ賞を創設し、スペインのスポーツ界に貢献した人々を毎年表彰しています。

表舞台で活躍する人にどうしてもスポットが集まりますが、それを支える人たちがいることをやはり忘れてはいけないなと改めて感じます。

世界的な大会であっても、始まりはとても小さなところからスタートしています。

それが人々の協力と情熱で少しずつ輪が広がり大きくなっていく。

こうしたオリンピックに限らず、様々な事業の成り立ちは全て同じなのかなと。

何事も始まりは小さくとも情熱をもってコツコツ積み重ねていく大切さを忘れてはいけませんね。

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